Yellowstone ホーム ページ アメリカの素顔
アメリカの国立公園指定第一番目、それは、Yellowstone。ここは、Wyoming の北西端にあり、ネブラスカの南東のはずれに位置するリンカーンからは、ほぼ、二つの州を斜めに横切るという、これまた、胸のすくようなドライブである。
大学時代の友人、森谷君、彼は、60歳を越えて再婚したというロマンスの主人公でありながら、重合化学のオーソリティであり、しかも、山男の心意気をもった紳士でもあるが、その彼、現在ニューヨークに在住であるが、是非、一緒にアメリカをドライブして見たいということで、今回、2人旅のイエローストーンめぐりとなった。
もちろん、アメリカの大自然を楽しむということが第一目標であるが、森谷君は、ラップトップのコンピューターを持参し、これを利用して、今回の旅のために開いたホームページを旅先から更新するという離れ業に挑戦した。
コースの中には、グランドテトン、イエローストーン、そして、デビルズタワー、バッドランドといった国立公園が入っており、これもまた、見所たっぷり、変化に富んだ、アメリカならではのドライブとなった。
走ったコースは次の通りであるが、果たして、そのドライブのなかみはというと・・・。さあ、時間の許す限り、ユックリと楽しんでください。
一日目 チムニーロックからララミー砦
アメリカ大陸の地図を開くと、ネブラスカはその真ん中に位置している。つまり、何処の海岸からも一番遠いところにあるということで、このことは軍事的には非常に重要な意味を成している。敵国から進入されたとしても、また、大陸弾道弾が飛んできたところてしても、アメリカ大陸のなかで最も安全なところという認識があるらしい。そんなことから、ここには、非常時の地下司令室があるとうわさされているが真偽の程は分からない。
こうした地理的なこととともに、さらに重要なことが、歴史的な意味である。ご存知のようにアメリカの発展の歴史は、1776年の独立以来、まだ250年足らずで、そんなに日が経っていない。非常に若い国である。そのアメリカが1803年にルイジアナ買収( 現在のミシシッピー川以西を当時は、ルイジアナと呼んでいた。)し、ジェファーソン大統領はこの地の統治を確立するために「ルイスとクラークの探検隊」を派遣し、西洋人の入植の足がかりを築いた。そして、5世代かかるといわれた西洋人の入植は、この肥沃な大地と、西部での金の発見により、わずか1世代でこの西部を覆ってしまうほどであった。その、西部入植と、ゴールドラッシュの旅は、St. Louisからミズーリ川を溯り、カンザス・シティーまで西に進む。ここで、ミズーリ川は大きく湾曲し、北に向かっていくので、西部を目指す人たちは、この辺りで川から陸路をとるのである。幌馬車隊を組み、先住民であるインディアンたちと睨み合いをしながら、西へ西へと進む。こうして、いわゆる、オレゴントレイル、カリフォルニアトレイル、サンタフェトレイル、さらには、モルモントレイルなどという、西部への街道が形成されていった。その拠点となるのが、Kansas, Atchison,St. Josep、Nebraska City, Plattsmouth,Omahaと言った、カンザス州からネブラスカ州にかけてのミズーリ川の河畔の町なのである。こうした町は、とにかく西部への出発点ということで、沢山の人か、全ての有り金をはたいて物資を購入したものだから、当時はたいへんな繁栄を極めたのである。そうした名残が、町のあちこちにフランス風の豪邸館として残っている。これらのトレイルが共通して通過したのが、ネブラスカ州を横切っているプラッテ川に沿った街道なのである。そして、なんの変哲もない平原の道から、いよいよロッキーの山を迂回する険しい山麓地帯に入ると、そこに、この人たちのトレイルの目安としていた独特の岩山が姿を見せる。これが、有名なチムニーロックである。その異様な姿はなかなか言葉では説明しがたいが、とにかく、� ��の名のとおり、空に突き出た煙突のような岩で、この岩こそが、まだ、コンパスなどというものが非常な貴重品で誰でもが使えるような時代ではなく、もっぱら、前にとおった幌馬車の轍の後だけを頼りに旅を続けていた人々に、大きな安堵と、勇気を与えてくれたのであろう。
こうして、フロンティアの旅は続くが、その後になって出てくるのがスコッツブラフの崖である。そして、ここを過ぎるといよいよトレイルはワイオミングに入る。このあたり、かっては、Sioux族、シャイアン族といった強力が部族が支配していた領域で、ここを西部の開拓者たちは命をかけて通り過ぎていったのである。当初、インディアンは、おおくの物資をもたらしてくれるこうした西部への入植者達といざこざを起こすことはあまりなかったが、やがて、その数が余りにも多く、自分たちの生活の基盤が脅かされてくることに気がついたインディアン達の間に自分達の権利を主張する部族があらわれ、少しずつ険悪な状態になっていった。そんななかで、幌馬車で旅をする人たちを守ったのがいうまでもなく騎兵隊である。その騎兵隊の拠点となった有名なララミー砦というのが、ここにある。もともとはララミーの河畔に毛皮の取引所として発展したところで、ここに、騎兵隊が� ��宿したのである。軍の指令部の建物、兵の寄宿舎、訓練所、厩舎などが広々とした敷地に点々と広がっていた。カンザスのドッヂシティで見た砦では、すでにインディアンとの和睦が確立していたのであろう、兵の家族も砦で一緒に生活していたあとが伺えたが、ここは、軍隊の訓練広場まで用意されているという、まさに前線基地という感の砦であった。
このララミー砦は、実はララミー市にあるのではなく、この日の宿泊予定をしていたララミーには、まだ、100マイルほど走らなくてはならない。おとなしく、ハイウェイに戻り走れば何のことはないが、地図にも道路がしっかり書いてあるということで近道を取る。しかし、少し走るとこれが、がたがたの田舎道。以前にも経験したことがあるが、こうした道は案内板がなく、地元の人たちがたまに通る程度の、全くの生活道路なのである。ここによそ者が入ると、何回がカーブをしているうちに自分がどちらに向いているか分からなくなる。そんな経験をカナダの帰りにしたことがあるので、慎重に方角を確認しながら、土ぼこり をたて田舎道をつき進む。そうこうしているうちに遠く高い煙突を見つけた。おそらく発電所のものであろう。そこまで行けば、道路は整備されているし、何とかいけそうだと気を強くしたが、これが、また遠い。いけどもいけどもその煙突が近づいてこない。20分くらいこんないらいらが続いて、やっとの思いで ハイウェイにでる。やはりよそ者は田舎道を通らないようにするのが、アメリカドライブの鉄則である。ララミー砦を見ているときにパラツイテいた雨も上がり、東の空には虹が見えている。それも、珍しい二重の虹だ。アメリカでは、虹が地平線まで延びているので、色合いがとても素晴らしい。こんな素晴らしい虹は、この旅のこれからの天気を占っているようだった。
Lincoln Kearney North Plate Ogallala Chimney Rock Scottsbluff
Torrington Fort Laramie Wheatland Laramie
この日の走行距離は、590マイルでした。
二日目 ワイオミングを西へ西へ、
ララミーからドリッグスへ
アメリカの地図を眺めていると、まるで定規で便宜的に筋を引いたように州境が決められている。その中でも、まさしく四角に区切られているのが、コロラドとワイオミング。ともにロッキーの山々が大陸の分水嶺として堂々と聳えているが、こうした山の稜線が必ずしも州境になっていないのがいかにもアメリカらしい。逆に、ミシシッピー川やミズーリ川、オハイオ川などが州境を形成していることを考えると、どうも、アメリカでは水系のほうが分水嶺よりも意味があったような気がする。
そして、このララミーは、目的地のイエローストーンとは、四角形をしたワイオミングの対角線をなしている。だから最も速くイエローストーンに行くには、斜めに走ればよいのであるが、ここは一日余裕をもって、まず真っ直ぐ西に進むことにした。というのも、ここが、アメリカ開拓史の舞台となった最も重要な街道だからである。ここを走るインターステーツ80を旅することは、丁度時間を遡って旅をするようなものだ・・・と解説がある。大平原と盆地に住むインディアン達は、ここを通商の道として使った。そして、そこには、オレゴン、カリフォルニア、そして、ユタに進んだ幌馬車隊の残したわだちがいまだに残っているのである。そして、西部に移住した人たちと、彼らのふるさとに残した家族との間の便りの交換を馬を乗り継いで運んだポニー・エクスプレスの宿場が残っている。このポニー・エクスプレスの運命は、僅か60年で消えるが、その原因となったのが、ここに大陸横断鉄道が開設されたからである。
われわれがはしったインタースターツ80は、リンカーンハイウェイと呼ばれる。それは、合衆国の数あるインターステーツのなかで、東海岸と西海岸を結んだ最初の高速道路という栄誉に対して付けられた名前だ。インターステーツの走る高原は、実に殺伐としている。どこまでも広がる黄色い草原。水が少なく殆ど緑が消えうせている。そんな中に、突如として町が現れる。こんなところに人が住めるのか思われるようなところに決して近代的とは言えないがかなり大きな街である。Rawlinsというのは、アメリカの中西部ではかなりの石油会社であるSinclairの製油所がある。なるほど、ところどころに例の石油を掘り出しているポンプを目にすることがあった。以前に、同じワイオミングの北の端を旅行したときにも、大きな石油基地の町を見たことがあるが、なにを隠そう、ワイオミングは石油が産出する州なのであった。暫くいくと、草原の中にフレアースタックから火が挙がっている石油基地も見えた。これには、驚き。あまったガスが燃えるほど石油が出るということだ。資料によれば、なんと、ワイオミングはアメリカで生産している石油の46%を占めているとか。このあたりから、Wamsutter、Rock Springsあたりまでは、Sweetwaterという平原が続く。すでに標高は2000メートルである。殆ど川をみることはできないが、ここを流れる水は、すでにコロラド川に注ぎ、やがては太平洋に流れこむ水である。小高い山の頂には、どこにも見られる風車が高原を吹き抜ける風を受けて、ゆったりと回転している。
石油と共に、ワイオミングの資源は石炭とウラニウムである。露天掘りをされているその石炭を積んだ貨車が百輌近く連なって、西へ東へと運ばれてゆくのである。その量がこれまた驚く。ネブラスカでもよく見たが、何しろ、大陸横断鉄道のうえを、石炭を満載した貨物列車が引っ切り無しに走っているのである。驚くなかれ、その量は、1991年には、194百万トンもの石炭を産出したとのこと。これは、合衆国の石炭生産量の3/4に相当する。ちなみに、このほかの鉱物資源としては、石灰石、御影石、ヒスイなど、そして、ウラニウムの産地でもあるとか。但し、ウラニウムはと投機的な採掘が行われ、今では閉山の憂き目にあっているとのこと。これは、誰をウラムニウム? ところどころにある露天掘りの高山、見るからにボタ山のようにものもみえる。そんな光景を楽しみながら、やがて、遠くに雪を抱いた山々が見え始める。13,745 ftのFremont Pk, から、13,192 ftのWind River Pk へとつらなるWind River 山脈の山々である。
ワイオミングを横断するこのインターステーツの旅は、Rock Springsを過ぎ、州の外れ にあるEvanstonと言う町で終わる。この町のビジターセンターに寄ると、そこの管理人がどこから来たのかと聞く。ララミーからだといったら、「それは、よく来た。」と。とにかく、ワイオミングを横断してここまで来てくれたことがとてもうれしかったらしい。このトレイルが歴史的に非常に意味のあることをしきりに強調していた。旅の楽しみは、こうしたビジタ ーセンターで旅行者を歓迎してくれる地元の人と親しく話ができること。ちょっとした町ならどこにもあるが、特に立派なのは、州境に近い町のビジターセンターである。立派なガイドブック、地図、そして、様々な資料がそろっているし、なかには、コーヒーやお菓子のサービスまでしてくれる。こんなときには、思らず、この町に来てよかったと、一ドルの寄付をする。
ここで、ガソリンを補給する。さすがにワイオミングは石油が出る州ということで、ガロン2.66ドル。ネブラスカでは、このところの急騰で3ドル近くしている。信じられない価格だ。思わず、ポリタンに入れてガソリンを買いだめしようかと言いたくなる安さだ。
インターステーツ80を降り、ここから北に向かうとやがて、Utahに入る。といっても殆ど州境を走るようなものだ。そして、やがて、アイダホにはいる。ここには、ベアーレイクという避暑地がある。高速から、州の高速を走るときには、制限速度が65マイルになるので、ついついスピード違反となる。そんなときにパトカーに捕まるのだ。なにしろ、前にも、後にも車はいないし、道路は真っ直ぐ。偶々あるカーブでは、スピードを緩めず体で感ずる遠心力を楽しむ程度にスピードを出す。そんな感じで気持ちよく運転していたら、かなり彼方に黒い車が道端に突っ込んだ形で止まっている。なにか不自然。ひょっとしてパトカーか。ここは用心するに越したことはない。というわけで、スビードダウン。制限速度の5マイルオーバーで走る。近づいてみると、なんと、やっぱりパトカーがスピード違反を取り締まっていたのだ。おー、間一髪。桑原、桑原の一幕でした。
ベアーレイクは、ユタとアイダホに跨る湖で、幅10`、長さが30キロある。ここの標高は、2000メートル。沢山の人が水上スキー、ボート、つり、中には、水浴びを楽しんでいる人。また、水辺では、ATVと呼ばれるバギー車で爆音を立てているものがいる。ソールトレイクあたりからもここにリゾートに来ているようで、やはり水質の差があるのだろうか。久し振りに湖を見たということで、思わず気が緩む。ここで、運転を交代して暫くして、昼食のために一休み。と、その時ふと、車のキーがないのに気がつく。そう簡単に落とすようなものではないが、車のなかのどこを探しても出てこない。これから先。旅はまだ長い。スペアーキーがないのでは不安で仕方がない。何とかしなくては、と思えば思うほど焦ってくる。もう一度、運転を交代したところからトレースしてみる。森谷君がこのあたりで有名なハンバーガー屋で食事をしている間、また元に戻 り探すことにした。10マイルほど、あれこれ考えながら引き返す。が、元に戻ってもやはり見つからない。これは、もう観念するしかないと、森谷君の待っているところに戻る。彼も、いろいろ探してくれたが、どうしても見つからない。仕方なく、出発しようとしたら、彼が鍵を出してか車を運転しようとする。車には、キーがついているではないか。という ことは。結局、こうして無事、鍵紛失騒動はけりがついた。
ベアーレイクから、北に走り、ワイオミングの入る予定が、何処で道を間違えたのか、アイダホを走っている。地図には強いといっていた森谷君の勘違いで、どうも、北西に走っているようだ。Montpelierから東に向かう予定がすこし狂ったが、北に進んでいるなら問題ないとこのまま進む。地図を見れば、この道、オレゴントレイルとでている。とんだところで、また、歴史の街道を検証することとなる。途中、Soda Springsという町についたが、ここがまた、白い山々に囲まれた町。いたるところに岩塩のような採掘場が見える。近くには、Dry Lakeなどと書かれた場所もあり、おそらく、このあたり、標高は2,000b近くあるが、かっては湖のそこではなかったか。まわりは、ワイオミングの南を走っているときには、枯れ草の丘を走っているようであったが、このあたりになるとハイウェイは白樺の林に囲まれて、車の窓を開ければ緑のにおいがするすがすがしい空気を吸うことができる。こうして、ワイオミングとアイダホの州境を走りながら、分水嶺をこえ、Shoshone川の水系に入る。このShoshone川は、Snake川とも呼ばれている川で、太平洋に注ぐコロンビア川の支流である。非常に長い水系を持っていて、その水源は、ジャクソンレイクである。極僅かしか離れていないが、こことイエローストーンレイクとの間に大分水嶺があり、イエローストーンレイクの水は、ミズーリ川に注ぐイ エローストーン川に流れ込んでいる。この日は、Jacksonに宿がとれず、Driggsという、アイダホの田舎町に泊まる。ところが、このDriggs で次の日の朝、たいへん貴重なものを見ることができた。
この日の行程